Monさんちーむ の ぶろぐ。

み、見ちゃダメ!(建前)

今後の進退

 こんばんは。

 Monさんちーむです。

 

 投稿がずいぶんあいてしまいました。お久しぶりですね。

 相変わらずの課題生活でした。まだもうしばらく続くのですが、週末ということで。

 

 さて、前々回にお伝えした、これからの拙の進路について、誰得でしょうが、私の意志整理も含めてつらつらと書き殴らせてもらおうと思います。

 まず、現在私はタイのタマサート大学に留学中です。期間は約1年で来年の5月末までです。タイと日本の学期システムが違うので、日本に帰ってくるのは微妙な時期ですね。

 この微妙な時期によって、我々留学生が懸念すべきなのは、卒業要件や、復学時期、就活等です。

 

 ・卒業要件

 まずは、学生は4年間大学に在籍する必要があります。そして、私の場合は大学間交換留学なので、3回生後半からの留学を終えた時点で4回生の前半(7セメ)までの在学を終えたことになります。そして、タイの留学でも単位を獲得できるので、それらを持ち帰り、残りの単位を回収して卒論を完成すれば良いという段取りです。

 

 ・復学時期と就活

 次に、復学時期と就活について。先ほどの通り、微妙な時期に帰国するので復学の時期に関しては、個々人の事情に大きく影響します。一番大きな要因は就活です。帰国が5月なのでその時期にはもう既に就活が始まっているのです。開始時期に日本にいないというのは、大きい痛手になるのです。そのため、ここで敢えて留年して、来年度就活の開始まで待つという選択をする学生が多いです(所謂、留学留年、就活留年)。よってこのパターンの学生は5回生の後期に復学するまで一年間休学するのです。就活制度の変更がもう少し早ければ...。単位が足りない場合は4回生の後期(8セメ)もしくは5回生前期(9セメ)から復学する学生もいます。

 

 ここまで、留学生の基本的な帰国後の対応について書いてきました。では、私はどういう進路を取ろうと企んでいるかというと、少し、上記の物とは違ってきます。

 一つは、院進です。可能性云々を言われると苦しいのですが、これが、今私が一番考えているルートです。とは言っても、私は研究者になろうと思っているわけではありません。考えているのは、修士号までの取得です。このルートを選ぶことによって、まず、留学留年をしなくて済みます。就活に必要がとりあえず無くなるからです。そして4回生の後期からの復学になります。というか、休学しなくてよくなります。(帰国から8月までの日本のセメスターへの扱いについてはまだよく分かりません。授業に出ていいのかな...。)卒業要件については...うん。多分大丈夫でしょう(多分)(希望的観測)。この選択での一番の問題は何と言っても卒論と院試です。これがかなり大きい。この大きい案件をほぼ同時に、これからの一年間で仕上げる必要が生じます。特に院試に関しては、夏に行われるので(阪大は冬季もあるが、枠は狭い)、当然ながら留学中からの準備が必要です。そして、院試には研究計画書などが必要で、それは卒論の延長線上の物ですので......。もうお判りかもしれませんが、この留学中に卒論のテーマと大まかな流れまでは作り上げておく必要性があるのです(満身創痍)。頑張れ、未来(限りなくすぐ先)の自分。院進先は、阪大もそうですが京大も一応視野に入れています(最終学歴)(アクセス)(学歴コンプ)(コネ←おい)。ただ、お世話なってきた先生方がいらっしゃる阪大の方が有力だと思います。(京大に行った方が親は喜ぶのかなぁ...知らん)

 

 二つは、公務員です。まあ、これには、限りなく小さい可能性としての研究者ルートも内包しています。ただ、この粗末なタイ語能力で将来食っていけるとは思っていないので、今はあんまり考えていません。私がここで本当に言いたいのは、院進した後の研究職以外の就職先です。公務員と言いましたが、詳しくは、国家公務員です。これも拙の能力でどうにかなるかは分かりませんが、夢を語る分には自由だと思うので、構わず愚考を続けます。理由としてはまず、私が民間でうまくやっていける自信があまりない。公務員一族の宿命なのか...。ええ、多分自分のせいです。そして、拙の思想も関係していますが、いつか国家に何らかの形で奉仕したいと考え続けてきました。それを最も直接的で、自分の果たしうる職業というのが、省庁に入る、という考えだったのです。ただ、私の能力や学歴では、その可能性も限定されます。ですので、はなから主要省庁などは考えていません。院で京大に行けば学歴の面はマシになると思うのですが、元々、関東が強いので、そこを考えての京大ではありません。ですので、私が導き出した理想の就職先は...宮内庁です。ここを第一志望にする大学生などどれほどがいるのでしょうか。しかし、私の場合では、この宮内庁という選択は、「国家への奉仕」「主要省庁ではない」の両方を叶えています。そして、あまり将来の職業について不透明だった私の感情が珍しくモチベーションを覚えたのです。そして、理由はもう一つあります。それは、「日本の皇室とタイの王室の関係性」です。外交とは言っても外務省だけでなく、皇室外交も存在します。もちろん、外務省が主導だとは思いますが、宮内庁にタイに多少の知識がある人間が少しはいてもいいのではないでしょうか。それを踏まえての研究テーマが王室でもあるのです。ああ、行きたいな。宮内庁

 

 ここまで無茶苦茶なことを書いてきた気がします。ただ、これが今の私であるということです。勿論これらの考えはころっと変わるかもしれませんが、とりあえずはこれで頑張ってみます。長々と他人の将来について聞いていただいて有難う御座いました。何か進展があれば、またの機会にお話いたします。

 

 それでは次回も乞うご期待。

農業体験

 こんんばんは。

 Monさんちーむです。

 

 今回は前回言った、今後の私の進路......ではなく、今日行ってきた課外研修について、日記感覚でお話したいと思います(公約違反)。

 

 本日、朝7時に集合した(きつい)我々が向かった先は、近隣県のスパンブリー県にある生活体験センターのようなの所。なかなか疲れましたが、まあこれもいい経験だったのかもしれません。

 

 我々はまずその農業体験の前に、市場に立ち寄り。

f:id:monsanteam:20181110215812j:plain

 

 外国人も少なく、いい感じのタイの市場でした。

 チャーンビールロゴの栓抜きを購入(15バーツ)。可愛い。

f:id:monsanteam:20181110215918j:plain

 その後、寺院も寄って(割愛)、メインイベントの農業体験へ。

 

 農業体験と言っても、田植えをするだけなんですが、小学生の頃にやった米作り体験を思い出しました。もう乾季なのに、小雨が降るアクシデントがありましたが、予定通り、田植え。

f:id:monsanteam:20181110220319j:plainそれはそれはニュルニュルしてました。

 みんないやいや言いながら、なんだかんだ楽しんでたと思います。拙も。

 

 最後に、パークの中を自由行動してカフェして、工程終了。

f:id:monsanteam:20181110220644j:plain水牛もいた。デカい...。

f:id:monsanteam:20181110221234j:plainアメリカーノ。スパンブリーと書いてあります。

 

 あんまり、内容がありませんでしたが、ちょっと珍しいことをしてきたので、折角ということで、記事にしちゃいました。

 

 次回、何もなければ、当初の話題について書きたいと思います。

 

 それでは、次回も乞うご期待。

 

留学生活について。

 こんばんは。

 Monさんちーむです。

 投稿が遅れたのは課題に追われていたからです(白目)。

 

 まだ続くと思うと、しんどいですが、11月末にこちらのセメスターは一足早く終わるので、もう一踏ん張りといったところです。

 実は、タイは8月中旬からセメスターが始まるので、8月の初めまで、日本で授業を受けていた私にとっては4月から長期の休みがほぼ無いような生活を送ってきました。社会人かな?しかも、慣れない環境でストレスがたまりがちになります。

 

 もう一つ、私のストレスを増長させているのは最初に述べた課題です。課題自体は存在しないといけないものなので、別にそこが重要なのではなく、多すぎるという点です。

 現在は週に5コマあり、1日1コマ受講しています。こう聞くと大したことのようには思えませんが、実は、タイは1コマ3時間なのです。長い。延々と母語では無い言語を聞き続けるのは頭がパンクしそうです。ですが、もう慣れてきました。今、帰国したら、きっと日本の授業が短すぎて驚いてしまうことでしょう。そしてこの5コマ、全て必修扱いなんです。これの何が問題なのかというと、自分の興味がある授業を全然他に探そうという気が起こらなくなります。1日6時間タイ語を聞き続けるのもそうですが、何より翌日の宿題やその日の復習等の時間がかなり減ってしまいます。私に関しては、他の授業もそうですが、前回にお話していた通り、既に大雑把には研究テーマの目星がついています。せっかくの留学ですので、卒論についても収穫を得て帰らなければ、話になりません。加えて、研究テーマの都合上タイを取り巻く周辺言語も勉強したいと思っています(ラオス語、カンボジア語パーリ語)。12月が1ヶ月休みなので、ここで圧倒的進捗を生み出そうと企んでいます。忙しい。

 

 以上が今私の置かれている現状です。生活環境等にはほとんど文句はありません。ただ、カリキュラムだけが少々拘束的なのが不満です。ただ、次のセメスターは今とはカリキュラムが違うとのことなので、それを希望に今日もまた課題に取り組もうと思います。

 

 今回、私の今後のスケジュールについて、簡単にお話させてもらったので、次回は今後の私の進路についても少し触れさせてもらおうかと思います。

 

 今回はただの雑記となってしまいましたが、今までで一番リアルなことを書けたと思います。早いですが、今回はこのあたりで。

 

 それでは、次回も乞うご期待。

タイ語はどこからやってきたのか。(3)

 こんばんは。

 Monさんちーむです。ブログ名に落ち着きがありません。

 タイ語の形成について長々とやってきました。

 みなさんもそろそろ飽きてきていると思います(そもそも見てる人がいないか)。

 本日のブログで一旦一区切りをつけたいと思います。

 

 前回では、サンスクリット語パーリ語タイ語における宗教語彙・文化語彙に大きく影響を及ぼしていることをお伝えしました。今回は、その他のタイ語に影響を及ぼした言語についてもう少し補足していこうと思います。

 

 前述した言語の次に大きな影響を及ぼした言語ですが、個人的にはクメール語だと思います。クメール語については、以前に少しだけ言及しました。正確にはクメール文字についてです。文字についてはクメール文字を参考にしてタイ文字が作られたということを紹介しました。それを考慮すれば、クメール語から語彙の影響を受けたという流れも大変自然なことです。どのカテゴリにクメール語の借用が多いかについては、後述しますが、ちょくちょくクメール起源の単語を目にします。ちなみにクメール語のカテゴリについてですが、

オーストロアジア語族 - モン・クメール語

に属しているので、タイ語とはまた系統の違う言語です。以上の3言語がタイ語に影響を及ぼした3大言語だと考えています。ただ、他にも小さいながらも影響を与えている言語はあって、その例としては、モン語(なんか親近感を覚える...)や、ジャワ語などでしょうか。歴史的な経緯などは詳しく分かりませんが、まれに、専門用語や、一部的な語源として登場してきます。

 

 ここまでの情報をまとめてみましょう。

 タイ語について、言語はタイ・カダイ語族で中国から南下してきた。文字はインド系のクメール文字を元にして作られた。語彙は宗教的。文化的な語彙を中心にサンスクリット語パーリ語から大きな影響を受けた。これで、大まかなことは説明できると思います。

 

 長い間、お付き合い頂きありがとうございます。ですが、そもそも、何故私はこのようなことを延々と語ってきたのでしょうか?それは、まだ未確定ですが、私の研究テーマに少なからず関わってくるからです。

 みなさんは 王語 というのをご存知でしょうか。もしかしたら、拙のツイッターでそのような内容の呟きを見たことがある方がいるかもしれませんね。簡単に説明するならば、日本語の古文における最高敬語のようなものです。タイ語にも語彙レベルが様々あり、口語から文語まで様々な同意異義語があります。これが、タイにおける教養・マナーに影響しています。日本ではほぼ廃れましたが、タイでは非常に多くの語彙が今でも王室に対して使われています。その語彙ですが、非常に難解で、タイ人ですら正確に使いこなすのは簡単ではありません。私はその語彙にどのようなルーツがあるのかに興味があります。その多くはクメール語であると言われていますが、それぞれを細かく分析したような論文にはまだ邂逅していません。いずれはこのジャンルについて卒業論文を書きたいと思っています。

 ということで、今後も、言語について、王語関連の話は登場してくると思います。前回に、東南アジアの言語は複雑化していると紹介しました。私の研究がその一助になれば幸いです。

 

 全三回に渡ってお送りしてきました。

 つまらない内容ですみません。ですが、最初の段階でタイ語となんたるかを簡単にでもご紹介しておくべきと判断し、書かせてもらいました。

 次回はまた別のジャンルについて書きたいと思います。

 

 それでは次回も乞うご期待

タイ語はどこからやってきたのか。(2)

  こんばんは。

 Monさんちーむです。

 本日は前回の続きで、タイ語がどのように成立してきたかについて少し掘り下げて、説明させてもらおうと思います。

 

 前回、タイ語は文字はインド系、音声と民族は中国南東部から南下してきたとお伝えしました。この時点でタイ語の下地に2つの要素があることが分ります。

 そして今回注目したいのは、タイ語の ”語彙” についてです。語彙について調べれば、どの国から文化的・宗教的影響を受けたかが分かります。

 

 では、ここで、タイについて一通りおさらいをしてみましょう。

 

 政体:立憲君主制チャクリー王朝、現国王:ラーマ10世)

 宗教:国民の90%以上が上座部仏教徒(次いで、イスラーム教、キリスト教

 民族:75%がタイ族、14%が華人、ついでマレー系、インド系、少数民族

 

 言語に関係する情報だけを簡単に抜粋してみました。余談に、宗教と民族の項目をみてもらうと分かると思うのですが、国家として、民族や宗教の”ブレ”が少ない国家なのです。付け加えると、国家に付与されているイメージと実際の数値にそこまで差異がないということです。

 さて、まず政体についてですが、日本と同じく立憲君主制です。ですが、日本よりかは国王の権限は強いものとなっています。2016年10月に国民から絶大な尊崇を受けていたラーマ9世が崩御しました。現在は子のラーマ10世が在位していますが、問題も多く、今後の王室の役割に影響が出ないか懸念されます。また、日本と同じように、現代になって一夫多妻制から一夫一妻制に移行したことで、後嗣問題が起こっています。王族や元王族はタイ国内にすごい数が存在しているのですが、代を経るごとに官位が下がり、やがて王位継承権を失っていくので、直系の後継不足というのは深刻な問題です。

 また、王族は仏教徒でなければなりません。すなわち、国王とは仏教の守護者でもあるのです。ここで、王室と仏教が繋がりました。日本の天皇陛下と同じく、タイ国王は仏教の重要儀式の遂行者でもあるのです。タイの仏教は様々な面で独自に発展してきたので、また別の機会にお話できたらなと思います。

 

 仏教についてですが、日本と同じように勿論経典があります。宗教用語は多分野よりも音を残して対外的に伝播していくため、別々の国でも似たような単語になる場合が多く、興味深いです。では、タイにおける経典が何語で記されているかご存知ですか? サンスクリット語? 実は違います。 答えは パーリ語 です。当然、サンスクリット語から流入してきた宗教語彙もあると思いますが、経典にはパーリ語経典が用いられているため、圧倒的にパーリ語の語彙が多いです。ただ、パーリ語サンスクリット語が元になっているので、違いが大きくないものが多いので、タイ人は「パーリ・サンスクリット語が語源」と言う場合もあります。

 サンスクリット語パーリ語は共に印欧語族に属し、サンスクリット語は僅かながらも、現在もインドで使用され、インドの公用語の一つにも含まれています。一方で、パーリ語は既に死語であり、仏教用語などでのみ現在も使用されています。

 政体の段落でお話ししたように、タイは国家と宗教が深く結びついています。よって、タイ語には多くのサンスクリット語パーリ語借用語があるのです。パーリ語については宗教語彙の他にも、多くの文化語彙が現在でもタイ語に残存しています。これがひいては、タイ人にとっての教養の有無の判断材料となり、タイ語における語彙レベルのヒエラルキーを生み出しています。

 

 思っていた以上に話が長くなってしまっていますが、次回ではタイ語に影響を及ぼした他の言語についてと、今回のトピックのまとめを行いたいと思います。

 

 それでは次回も乞うご期待。

タイ語はどこからやってきたのか。(1)

 こんばんは

 Monさんちーむです。

 前記事を閲覧してくださった方には御礼申し上げます。励みになりました。

 これからもよろしくお願いします。

 

 さて、今日は私が2年以上学習してきたタイ語について、簡単に紹介したいと思います。

 

 まず、言語というのは、それぞれが完全に独立・孤立しているというわけではありません。例外などは勿論ありますが、殆どの言語はどこかの言語体系の系譜の中に属しています。そして、タイ語も勿論様々な言語から影響を受けて、今日に至っています。

 言語をカテゴリする際には比較言語学の世界では、以下のような単語で表します。

 

 (大語族) > 語族 > 語派 > 語群 > 言語 > 方言

 

 つらつらと列挙しましたが、見慣れないものもあると思います。私もちゃんと理解できているわけではありません。ちなみに、大語族という概念は現在はまだ仮説段階で、正式にはまだ認められていないカテゴリです。よって、実際は、 語族 が言語をグループ化した場合に一番大きな括りになるというわけです。語族という括りで一番みなさんが聞き覚えのあるのは、 インド・ヨーロッパ語族印欧語族) でしょうか。いくつもの大きい言語がこの語族に含まれています。ちなみに言語数を基準にした場合、どの語族が一番大きいグループになるのかご存知ですか?実は印欧語族ではなく、 ニジェール・コンゴ語族 という語族なんです。分布としてはアフリカ大陸の半分から以南に位置しています。優に1500以上の言語から構成され、全体の約20%をこの語族が占めているのです。

 

 では、そろそろ私の専攻のタイ語の話にシフトしようと思います。タイ語は タイ・カダイ語族 という語族に属しています。細かい系統を記載すると以下のようになります。

 

 タイ・カダイ語族 - カム・タイ語派 - タイ・チワン諸語群 - タイ語群 - 東中央 - チワン・ソン諸語

 

 ...。ややこしいですね。よく分かんないですよね。とりあえず、この細かい分類についてはおいといて、ここで、(音声)言語と文字を分けて考えてみます。

 まずはタイ語の属する、タイ・カダイ語族は中国南東部が発祥であるとされています。そこから南下し、現在のタイ国に至ったとされています。文字については、クメール文字(カンボジア)を元にして、スコータイ朝第3代ラームカムヘーン大王が発明したと言われています。クメール文字はブラーフミー系文字と言われ、所謂インド系の文字の系譜です。要するに、民族と、音は北から南下してきたもので、文字は西からやってきたもので、そのクロスが東南アジアのタイで起こったということなのです。しかし、このような言語のでき方はアジアではよくある話で、そこが面白いところであり、複雑化している原因であり、比較言語学において、研究の余地がまだまだあるエリアなのです。

 

 今回はこの辺りにして、次回では本題であるタイ語について、もう少し深入りをしていこうと思います。内容については簡単だったでしょうか。できるだけ砕いて書いたつもりなのですが、分かりくい箇所がありましたら、私の不手際です。コメント欄などにお寄せください。

 

 それでは、次回も乞うご期待。

 

・参考

 ・語族

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%9E%E6%97%8F

 ・タイ・カダイ語族

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%80%E3%82%A4%E8%AA%9E%E6%97%8F

 ・タイ文字

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E6%96%87%E5%AD%97

 ・クメール文字

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%E6%96%87%E5%AD%97

Flamingo

こんばんは。

 

もんさんちーむです。

 まえがきの次に実際に中身がある記事は何にしようかなと考えておりました。

 そんな折に、米津玄師の新曲「Flamingo」をまだチェックしていないと思い出し、YouTubeへと向かいました。

 うん。作風がずいぶんと変わりましたね。

 嗚呼、気をつけて頂きたいのは、これは至極肯定的な意見であるということです。

 というのも、私は米津玄師自体に「変化」という性質があると考えてきました。ご存知の通り、米津玄師は元々、2009年からニコニコ動画にハチ名義でボカロPとして動画を投稿していた経緯があります。その後、2013年に「サンタマリア」でメジャーデビューを果たします。現在は「Lemon」の大ヒットによって、知名度は全国レベルとなり、今一番売れている男性歌手と言っても過言ではありません。

 

 私はいつ米津玄師を知ったのだろう。そう思って過去ツイで検索してみたら...ありました。2015年5月2日のツイートで初めて「米津玄師を聴いてビビッときた」と書いていました。当時の私は高校3年生。米津玄師の一般的な知名度もまだまだこれからという時でした。当時、私はまだボカロというジャンル自体にも全然疎かったのでハチという名前さえも知らずその曲を試聴したのを覚えています。思えば、私個人に関してのボカロジャンルへの開拓というのは米津玄師がきっかけだったのかもしれません。その後、彼がボカロからメジャーへの転身で自身の歌唱を用いるようになったことを知ります。この歌手はメジャーでも伸びると思っていましたが、まさかここまでとは思ってませんでした。

 それもこれも米津玄師にとって、環境の変化と自身の音楽的センスがうまく噛み合っていたからだと言えるでしょう。

 僕は2ndアルバムの「YANKEE」から入りましたが、彼のアルバムの一つ一つに環境の変化、音楽の変化が見て取れます。そしてそれに気づくと、歌の核には米津玄師がそこにいるのに、様々なスタイルに移ろいでいくことに気づきます。そこが米津玄師の魅力なんだと思います。なので、アーティストでシャッフル再生すると、いろんな音色が聞こえてくるのも彼の面白さです。

 

 ただ、私は、アーティストが同じところに留まり続けることは表現者としての死を意味しているのではないのかとも同時に考えます。同じスタイルで延々と同じようなことを書いて歌っていれば、次第にマンネリ化し、リスナーも飽きて離れていきます。なのに、よく新盤のレビューに「昔の方がよかった。」とか、「もう昔の◯◯じゃない」とか見受けられます。これは日本にも限らず、世界トップレベルのアーティストでもレビュー欄が同じような風景になります。記憶に残っているのはテイラー・スウィフトとかでしょうか。彼女は本来カントリージャンルからのデビューでしたが、彼女の代表曲「we are never ever getting back together」あたりからポップジャンルに移行し、今ではカントリーの新曲は殆ど見なくなりました。これも彼女なりの変化だと思います。思えば、アルバムの「Red」が過渡期だったのかも。

 閑話休題。米津玄師も様々な過渡期がありました。まずはメジャーデビューです。メジャーアルバム1st「diorama」はかなりP時代の面影を残しており、生々しく、しとしととしたイメージです。僕はたまに雨の日に聴くのが好きですね。そして、2ndの「YANKEE」。これが個人的には一番の神盤だと考えています。米津玄師の過渡期と言えばこのアルバムを一番に想起します。ガチャガチャした不協和音。ワイワイとそこに混じる気持ち良さ。絶妙なバランスです。そして、3rd「Bremen」、4th「Bootleg」、「Lemon」と続いてきました。

 そして今回の「Flamingo」です。正直、才能しか感じられませんでした。今までの米津が築き、吸収してきたものの集大成とも言えるかもしれません。米津玄師を一言で表現することは難しいですが、敢えて試みるならば、「薄氷の上のような危なっかしさ」「わらわらと不協和音が寄ってたかって不思議と大団円」のイメージを私は抱いてきました。この二つが我々に不可思議かつキャッチーな印象を与え、リスナーに音楽的快感を与えてきたのだと思います。「もし米津玄師が今まで培ったノウハウを全て引っ提げて初期の彼にタイムスリップしたらどんな曲を作るか」をど真ん中で撃ち抜いたような作品です。当に傑作。一通りファンをしてきた者にとっては新しさと懐かしさに同時に襲われて嬉しいパニックになってしまったことでしょう。

 彼がメジャーデビューしてはや5年。

 そこに確かにハチはいた。

 

                          長文・駄文失礼しました。 

 

・おまけ

個人的にお薦めの米津曲を紹介させていただきます。

マイナーの曲を攻めて見たので、あまり米津を知らない方には米津玄師の新しい一面を知っていただけたら幸いです。

・乾涸びたバスひとつ(「diorama」より)

乾涸びたバスひとつ

乾涸びたバスひとつ

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・メランコリーキッチン(「YANKEE」より)

メランコリーキッチン

メランコリーキッチン

  • 米津玄師
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・雨の街路に夜光蟲(「Bremen」より) 

雨の街路に夜光蟲

雨の街路に夜光蟲

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砂の惑星 敢えてハチ名義の方を持ってきました。「BOOTLEG」にも収録されています。これはボカロファンなら必ず知っている曲です。ただ、是非聴いて欲しい。これについて話すとまた長くなるので、これ位で...

砂の惑星 feat.初音ミク

砂の惑星 feat.初音ミク

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